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1 名前:あやめφ ★[] 投稿日:2008/10/02(木) 18:02:42 ID:???
アニメ不況の中、版権ビジネスでガッチリ儲けているアニメ制作スタジオがある。『ガンダム』で
お馴染み、バンダイ傘下のサンライズだ。しかし、そのガメツイやり方に対して、立場の弱い
アニメマスコミからは不満が噴出している。
『機動戦士ガンダム』に代表されるキラーコンテンツを持ち、版権ビジネスで最も成功しているのが、
1976年創業の大手アニメ制作スタジオ「サンライズ」だ。近年のサンライズは、ほかにも
『コードギアス反逆のルルーシュ』『ケロロ軍曹』『銀魂』など、"キャラクター押し"のヒット作品を
多数生み出し、フィギュアやゲーム、コミックなどメディアミックスを強力に展開。「月刊ニュータイプ」、
「月刊アニメージュ」、「月刊アニメディア」の"三大アニメ誌"に至っては、表紙や巻頭特集に
サンライズ作品を見かけない号はないほどだ。まさにサンライズの姿は、生き残りを模索する
アニメ業界にあって、理想的なビジネスモデルといえよう。だがその一方で、そうした人気を
かさに着た"殿様商売ぶり"に対して、不満の声もある。
あるアニメライターはこう嘆く。
「三大アニメ誌のようなメジャー誌は別として、まだ歴史が浅く、予算のない媒体ではサンライズ作品の
特集は組みづらい。というのも、通常は放送中の作品やDVD発売を控える作品に関しては、
宣伝扱いと見なして"場面写真"の使用料は発生しないものなのですが、サンライズの場合は
1点5000円以上の料金が発生します。以前、サンライズ側から『特集を組んでくれないか』と
依頼された案件の記事を書いたことがあるのですが、後になって場面写真の版権使用料と、
取材協力スタッフへのギャラを請求され、驚愕しました。今まで多くのスタジオと仕事をして
きましたが、サンライズほど金にガメツくて、態度が傲慢なところはありません。"気に入らない"
という理由で、出入り禁止にされたアニメライターも知っています」
さらに、こんな悲痛な声も。
「サンライズで、版権と取材依頼の管理を行っているのは、『ライツ業務部』という部署です。
ガンダムシリーズ(ガンダム事業部)とそのほかの作品(キャラクターワークス事業部)とでチームが
分かれており、特に収益の大きいガンダム関連の版権は、かなり厳重に管理されているようです。
以前、『機動戦士ガンダム00』に出演中の声優に取材を申し込んだら、マネージャーに『まず
サンライズに問い合わせてくれ』と言われたんですよ。声優個人のスケジュールをなぜ制作会社が
管理しているのか疑問だったのですが、サンライズに連絡すると、『ガンダムの放送期間中は
声優もコンテンツの一部と見なすので、(サンライズに)1時間3万円支払ってほしい』と言うんです。
通常、放送期間中の取材は宣伝扱いとしてギャラは発生しないものなので、これには驚きましたね。
結局、予算もないので泣く泣くあきらめました」(アニメ誌編集者)
しかも、こうしたガンダム版権の徹底管理ぶりは、原作監督の富野由悠季御大にまで及んでいるという。
「以前、富野監督に取材を依頼した際、ご本人は出たいと言ってくださったんですが、結局は
実現しませんでした。そのとき監督ご本人に伺ったんですが、なんでも"許可した媒体にしか
露出しない"というような契約をサンライズと結ばされているそうです。本来はもっと奔放な方の
はずなのに、サンライズに活動を制限されてしまって、今の監督はまるで『Zガンダム』でティターンズに
軟禁されているアムロのようなものですよ(苦笑)」(アニメマスコミ関係者)
日刊サイゾー(一部略)
http://www.cyzo.com/2008/10/post_959.html
アニメ不況の中、版権ビジネスでガッチリ儲けているアニメ制作スタジオがある。『ガンダム』で
お馴染み、バンダイ傘下のサンライズだ。しかし、そのガメツイやり方に対して、立場の弱い
アニメマスコミからは不満が噴出している。
『機動戦士ガンダム』に代表されるキラーコンテンツを持ち、版権ビジネスで最も成功しているのが、
1976年創業の大手アニメ制作スタジオ「サンライズ」だ。近年のサンライズは、ほかにも
『コードギアス反逆のルルーシュ』『ケロロ軍曹』『銀魂』など、"キャラクター押し"のヒット作品を
多数生み出し、フィギュアやゲーム、コミックなどメディアミックスを強力に展開。「月刊ニュータイプ」、
「月刊アニメージュ」、「月刊アニメディア」の"三大アニメ誌"に至っては、表紙や巻頭特集に
サンライズ作品を見かけない号はないほどだ。まさにサンライズの姿は、生き残りを模索する
アニメ業界にあって、理想的なビジネスモデルといえよう。だがその一方で、そうした人気を
かさに着た"殿様商売ぶり"に対して、不満の声もある。
あるアニメライターはこう嘆く。
「三大アニメ誌のようなメジャー誌は別として、まだ歴史が浅く、予算のない媒体ではサンライズ作品の
特集は組みづらい。というのも、通常は放送中の作品やDVD発売を控える作品に関しては、
宣伝扱いと見なして"場面写真"の使用料は発生しないものなのですが、サンライズの場合は
1点5000円以上の料金が発生します。以前、サンライズ側から『特集を組んでくれないか』と
依頼された案件の記事を書いたことがあるのですが、後になって場面写真の版権使用料と、
取材協力スタッフへのギャラを請求され、驚愕しました。今まで多くのスタジオと仕事をして
きましたが、サンライズほど金にガメツくて、態度が傲慢なところはありません。"気に入らない"
という理由で、出入り禁止にされたアニメライターも知っています」
さらに、こんな悲痛な声も。
「サンライズで、版権と取材依頼の管理を行っているのは、『ライツ業務部』という部署です。
ガンダムシリーズ(ガンダム事業部)とそのほかの作品(キャラクターワークス事業部)とでチームが
分かれており、特に収益の大きいガンダム関連の版権は、かなり厳重に管理されているようです。
以前、『機動戦士ガンダム00』に出演中の声優に取材を申し込んだら、マネージャーに『まず
サンライズに問い合わせてくれ』と言われたんですよ。声優個人のスケジュールをなぜ制作会社が
管理しているのか疑問だったのですが、サンライズに連絡すると、『ガンダムの放送期間中は
声優もコンテンツの一部と見なすので、(サンライズに)1時間3万円支払ってほしい』と言うんです。
通常、放送期間中の取材は宣伝扱いとしてギャラは発生しないものなので、これには驚きましたね。
結局、予算もないので泣く泣くあきらめました」(アニメ誌編集者)
しかも、こうしたガンダム版権の徹底管理ぶりは、原作監督の富野由悠季御大にまで及んでいるという。
「以前、富野監督に取材を依頼した際、ご本人は出たいと言ってくださったんですが、結局は
実現しませんでした。そのとき監督ご本人に伺ったんですが、なんでも"許可した媒体にしか
露出しない"というような契約をサンライズと結ばされているそうです。本来はもっと奔放な方の
はずなのに、サンライズに活動を制限されてしまって、今の監督はまるで『Zガンダム』でティターンズに
軟禁されているアムロのようなものですよ(苦笑)」(アニメマスコミ関係者)
日刊サイゾー(一部略)
http://www.cyzo.com/2008/10/post_959.html
1 名前: ◆newsSM/aEE @水前寺清太郎φφφ ★[] 投稿日:2008/09/26(金) 11:59:55 ID:??? ?PLT(27650)
アニメ・コミックファンの間で議論になることが多いテーマの1つに「いったいどのキャラクターが
一番強いのか?」というものがあります。スーパーヒーロー物や戦争物、中世ファンタジー物
など、同一の条件で比較することが難しいため、そもそも比べることに意味があるのかどうか
という疑問はありますが、このようなテーマで議論を尽くすのはファンにとっては非常に楽しい
時間でもあります。
そんなアニメ・コミックファンの間で「最強と言えばやはりこのキャラクター」と支持されたのは、
漫画史に残る大ヒットコミック『ドラゴンボール』の主人公《孫悟空》。宇宙最強の戦闘民族・
サイヤ人として生まれた《孫悟空》は、次々現れる強敵を倒すために スーパーサイヤ人に変身。
さらにストーリーの進行に合わせてスーパーサイヤ人の第2段階、第3段階、第4段階へと進化し、
ファンですら「どれだけ強いのか正直よく分からない」と言うほどの次元に到達しています。
2位につけたのは、同じ 鳥山明原作のコミック『Dr.スランプ』のヒロイン、「アラレちゃん」こと
《則巻アラレ》でした。彼女(?)はどこから見ても普通の女の子にしか見えませんが、その正体
は天才科学者・ 則巻千兵衛が作ったスーパーロボット。相手に指一本触れるだけではるかかなた
へと吹き飛ばしたり、地面にパンチを当てて星を真っ二つに割ったりと、そのパワーはとにかく
けた外れ。そのかわいらしいルックスにだまされて痛い目にあった敵キャラクターは気の毒の
ひと言ですね。ちなみに、1位の《孫悟空》と《則巻アラレ》は互いの作品で一度ずつ共演を
果たしているのだとか。
最強といえば忘れてはならないのが、どんな場所からでも百発百中でターゲットにヒットさせる
スナイパーの「ゴルゴ13」こと《デューク・東郷》。日本語以外にも多くの言語を操り、兵器を
はじめとするありとあらゆる情報に精通したスーパーマンである彼は、どんな困難な依頼も
完璧に遂行する真のプロフェッショナルです。宇宙人やロボット、超能力者が相手ではさすがに
分が悪いですが、普通(?)の人間の中で彼を超えるキャラクターを探すのはなかなか難しいの
ではないでしょうか?
今回ランク・インした以外にもまだまだ最強の名にふさわしいキャラクターが隠れていそうな
アニメ・コミックの世界。次に名乗りをあげるのは、いったいどんなキャラクターなのでしょうか?
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
宇宙最強だと思うアニメ・コミックのキャラクターランキング
1 孫悟空
2 ドラえもん
3 則巻アラレ
4 ケンシロウ
5 両津勘吉
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
5位〜30位にランクインしたキャラは>>2
gooランキング
http://ranking.goo.ne.jp/column/article/goorank/5201/
アニメ・コミックファンの間で議論になることが多いテーマの1つに「いったいどのキャラクターが
一番強いのか?」というものがあります。スーパーヒーロー物や戦争物、中世ファンタジー物
など、同一の条件で比較することが難しいため、そもそも比べることに意味があるのかどうか
という疑問はありますが、このようなテーマで議論を尽くすのはファンにとっては非常に楽しい
時間でもあります。
そんなアニメ・コミックファンの間で「最強と言えばやはりこのキャラクター」と支持されたのは、
漫画史に残る大ヒットコミック『ドラゴンボール』の主人公《孫悟空》。宇宙最強の戦闘民族・
サイヤ人として生まれた《孫悟空》は、次々現れる強敵を倒すために スーパーサイヤ人に変身。
さらにストーリーの進行に合わせてスーパーサイヤ人の第2段階、第3段階、第4段階へと進化し、
ファンですら「どれだけ強いのか正直よく分からない」と言うほどの次元に到達しています。
2位につけたのは、同じ 鳥山明原作のコミック『Dr.スランプ』のヒロイン、「アラレちゃん」こと
《則巻アラレ》でした。彼女(?)はどこから見ても普通の女の子にしか見えませんが、その正体
は天才科学者・ 則巻千兵衛が作ったスーパーロボット。相手に指一本触れるだけではるかかなた
へと吹き飛ばしたり、地面にパンチを当てて星を真っ二つに割ったりと、そのパワーはとにかく
けた外れ。そのかわいらしいルックスにだまされて痛い目にあった敵キャラクターは気の毒の
ひと言ですね。ちなみに、1位の《孫悟空》と《則巻アラレ》は互いの作品で一度ずつ共演を
果たしているのだとか。
最強といえば忘れてはならないのが、どんな場所からでも百発百中でターゲットにヒットさせる
スナイパーの「ゴルゴ13」こと《デューク・東郷》。日本語以外にも多くの言語を操り、兵器を
はじめとするありとあらゆる情報に精通したスーパーマンである彼は、どんな困難な依頼も
完璧に遂行する真のプロフェッショナルです。宇宙人やロボット、超能力者が相手ではさすがに
分が悪いですが、普通(?)の人間の中で彼を超えるキャラクターを探すのはなかなか難しいの
ではないでしょうか?
今回ランク・インした以外にもまだまだ最強の名にふさわしいキャラクターが隠れていそうな
アニメ・コミックの世界。次に名乗りをあげるのは、いったいどんなキャラクターなのでしょうか?
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
宇宙最強だと思うアニメ・コミックのキャラクターランキング
1 孫悟空
2 ドラえもん
3 則巻アラレ
4 ケンシロウ
5 両津勘吉
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
5位〜30位にランクインしたキャラは>>2
gooランキング
http://ranking.goo.ne.jp/column/article/goorank/5201/
1 名前:あやめφ ★[] 投稿日:2008/09/12(金) 11:36:39 ID:???
谷口: 作り手がやりたいことを好きにやって、お客さんをおいてきぼりにしてしまうというのは、
アニメ制作者が陥りがちな罠なんですよ。私は、今のアニメーション業界の一部には、「お客さんよりも
作り手のほうが上だ」という思想があると思っています。クリエイター至上主義といいますか。
―― そうなんですか?
アニメ関連の雑誌や企業広告でクリエイターがたくさん取り上げられて、何となくすごいという
イメージができ上がっていった。
これを否定する気はないんです。クリエイターの良さを伝えることも、雑誌や広告の仕事ですし。
ただ、それが世間一般にまで浸透してしまったがために、送り手はお客さんよりも偉いのではないか、
という幻想を、作り手に抱かせるようになってしまった。
―― 現在、業種によっては“お客様至上主義”的な方向に行きすぎてしまうケースもあります。
アニメーション業界はその真逆をいっているわけで、なぜ“送り手至上主義”的な現象が起きたのかは、
興味深くもあります。
アニメーションは、ほかの小説や映画、漫画とも、少しだけ違う発展の仕方をしたんですね。もともと
「子供向け番組」というところからスタートしていて、子供に対して、“毒”としての、もしくは“教育効果”
としての子供向け番組、テレビまんがという形で始まっていった歴史があって。
「テレビまんが」は、映像業界の中でも、世間一般でも、一段下に見られていたわけです。かつて
SFが(小説の世界で)下に見られていたようにね。だから次第に、アニメーションを作っている
スタッフの社会的地位を、何らかの形で認めてもらう必要があるだろうという動きが制作者側から
生まれました。
―― 動きとはどんなものでしたか。
富野由悠季監督が、「機動戦士ガンダム」劇場版(1981年)の公開直前に、新宿で「アニメ新世紀宣言」
というイベントをやったんですよ。
大勢の人たちの前で、アニメーションでもこういう表現ができます、アニメーションにも監督というものが
存在するんです、それを作るスタッフというものが存在しているんですということを、宣言する必要が
あったんですね。
―― アニメブームの始まりには、“いい年した若者がアニメみたいな子供番組に入れ上げるのは
幼稚である”という批判がずいぶんあったと聞きます。
だから、あの時代においてはやらざるを得なかったはずなんですよ。おそらく富野監督としては、
自分が業界に批判されるのを承知の上で、誰かがやらねばならないということで行ったことだと
思うんです。恥をかくのを承知でやられた。立派です。
ただ、問題があるとすれば、アニメーションはすごいんだとアニメ業界側が世間に対して言い続け
なければならなかったために、アニメというジャンルが、お客さん、特に10代、20代の若者に対しては、
必ず何らかしら哲学的なメッセージや、人を導いていくような何か、そういった立派な思想が
込められていなければならないという幻想が一部の関係者や観客に生まれてしまったんです。
―― なるほど。そういえば、アニメでは必ずと言っていいほど「主人公の成長」が描かれますね。
物語の基本ではありますが、そこに余計な物まで付いてきたと言えるでしょうか。そもそも
「立派であるべし」という大前提が間違っていた、ということですかね。昔からアニメーションは、
メッセージ性が強い作品群よりも、そうじゃない娯楽作品の方が実際には多かったわけですし。
ただ、「オールド・アニメファン」とでも言えばいいでしょうか。いわゆる“玄人筋”の人たちは、
アニメにメッセージ性があるかどうか、新しい何かがあるかどうか、というところに評価基準を
置いてしまった。これは、下手をすると排斥につながる。
■ 「通」がつくる権威が、大衆を遠ざける
―― ジャンルの向上のために理想を持つことは大切だと思うのですが、一方で、それ以外のものを
否定してしまうと、ちょっと一般の人が近づけないところにいきそうですね。
昔の日本文学みたいな物かもしれませんね。「純文学とは内面をえぐり出すようなものでなければ
ならない、大衆小説とは違うのだ」、みたいな。
でも結果としてどうなったかというと、勢いがなくなりました。ジャンル全体の。
映画にも、それに近い流れがありました。ヨーロッパでいうとヌーヴェルヴァーグの歴史がありますし、
日本でも松竹ヌーヴェルヴァーグだったり、アート・シアター・ギルド(ATG)の動きとかはありました。
でも結局、その潮流によって何が起きたかというと、一般の人が入れない世界と化し、映画界は
斜陽産業になって、つぶれかけたわけじゃないですか。
ひとつのカルチャーが続いていくと、それに関して精通している「通(ツウ)」という存在がどうしても
発生してしまう。「通」の存在が、次第に1つの権威みたいになって、若い人たち、作品の良し悪しを
自分で判断する基準を持たない人たちは、通の判断基準に身を委ねることになる。
そうして日本映画は衰退しかけたわけです。
最終的にその流れはメインストリームにはならなくて、また大衆のほうに戻ってきたんですけどね。
―― 「×××× ザ・ムービー」といったタイトルが付く、TVドラマから派生した娯楽映画も生まれました。
「あれは映画ではない」という人もいます。でも「これは映画か否か」とかそんな難しいことを
言い立てるものだから、訳の分からないところに突入してしまうのだと思うんですよ。
日本人の癖でもあると思うんですけど、ジャンルが成熟してくると、いろいろ分析し始めて、
お前は分かっていないとか、権威的なことをどうしても人は言い始めるわけですね。アカデミー化
しちゃうんです。でも、これはダメあれもダメと言い立てることで何が生み出せるの?と思うんですよ。
一番大事なのは、生まれてくるものが、楽しめるかどうかだと思うんです。
昔からずっと不思議に思っているのが、伝統芸能の扱いなんです。私の感覚だと、伝統芸能だって
芸人さんなんですよ。それを家を継ぐとか継がないとか、マスコミも含めて大騒ぎする風潮は
どこかおかしい。
やっぱりそれも「伝統」という言葉が拡大解釈されて、権威を身に纏うようになってしまった結果だと
思うんです。歌舞伎や落語も生き残るために権威を必要とした。アニメも同じです。なら、
今考えねばならないのは、その権威を護るのか、壊すのか。
―― ひとつの方向に行きすぎると、反動が出てくるのかもしれませんね。
アニメーションが「通」のものになってしまいそうだというところから、今、振り返って結果的に
よかったなと思っているのは、1990年代の終わりから2000年の頭ぐらいに、いわゆる「美少女もの」
と呼ばれるジャンルが急速に広まったことです。
美少女ものは、恋愛シミュレーションゲームや、18禁のPCゲームというまったく違う文脈から
きていましたから、通の人たちからすると、今までの自分たちが知っているアニメの文脈では
上手く語れない、解釈し辛いなものだったはずなんですよ。
「通」の人からすると「俗っぽいもの」だったのかも知れませんが。
―― アニメが高尚なところにいきかけたときに、「俗っぽいもの」によってシャッフルされたと。
世の中には「型から入る、形から入る」という楽しみ方も存在し得ると思うんですよ。
日本でも「黒人文化」というジャンルがあるじゃないですか。黒人の人たちによって生み出された
音楽とか、ファッション、料理、それを日本人が楽しむと。もともとは、黒人が社会の中で
虐げられてきたり、金銭的にゆとりがなかったという背景があってできてきた文化なんですよね。
でも、日本のお客さんはその文化的背景の意味を考えずに受け止めますよね。
■ 深く考えず、俗っぽく、欲と毒を呑み込んで
―― ロックもそうでしょうか。私たちは「反社会性」というような、ロックが持つ元々のメッセージ性は
あまり気にせずに楽しんでいます。
ルーツやメッセージ性は抜きにして、取りあえず形から入って楽しむ。それはそれでいいことだと
思うんですよ。型自体のカッコ良さに惹かれて、上辺の型だけを取り入れる、美味しいとこ取りの
融合による楽しさというものが存在するのだと思います。
深い意味を考えないからこそ、成立して楽しめるというものもあるはずだと思うんですよ。
―― 深い考えがないとそのカルチャーに入ってはいけないということになると、大勢の人に
浸透していかないのかもしれません。
俗っぽいものは大事です。大衆が好む欲や毒を呑み込んで作られるのがサブカルチャーで、
アニメというジャンルは、サブカルチャーが基本だと私は思っています。
オールド・アニメファンの人たちが、アニメーションを、これは新しいカルチャーなんだと世間に
知らしめようと努力してきたことは否定しません。ずっと迫害されてきた歴史でもありますからね。
社会からどれだけ迫害されようと、好きだ、好きだと言い続けていた人たちがあるからこそ、
今のようにアニメを世界に向けて発信していける土壌ができたんです。感謝しています、本当に。
でも、だからこそ、やっぱりある一線以上、彼らの声を重視するのはよくない。
もともと自分たちも若いころ、大人からの価値観でアニメはだめだと押さえつけられたことに対して
反発していた。その気持ちはわかる。ただ、その価値観を押しつけないようにして欲しい。
まあ、それでも、言っちゃうと人間の歴史ですかね。
結局ずっと言われ続けているんですよ。太古の昔から。「今どきの若い者は」という(笑)。
―― なるほど(笑)。(続きは多分来週)
NBonline
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080902/169504/
谷口: 作り手がやりたいことを好きにやって、お客さんをおいてきぼりにしてしまうというのは、
アニメ制作者が陥りがちな罠なんですよ。私は、今のアニメーション業界の一部には、「お客さんよりも
作り手のほうが上だ」という思想があると思っています。クリエイター至上主義といいますか。
―― そうなんですか?
アニメ関連の雑誌や企業広告でクリエイターがたくさん取り上げられて、何となくすごいという
イメージができ上がっていった。
これを否定する気はないんです。クリエイターの良さを伝えることも、雑誌や広告の仕事ですし。
ただ、それが世間一般にまで浸透してしまったがために、送り手はお客さんよりも偉いのではないか、
という幻想を、作り手に抱かせるようになってしまった。
―― 現在、業種によっては“お客様至上主義”的な方向に行きすぎてしまうケースもあります。
アニメーション業界はその真逆をいっているわけで、なぜ“送り手至上主義”的な現象が起きたのかは、
興味深くもあります。
アニメーションは、ほかの小説や映画、漫画とも、少しだけ違う発展の仕方をしたんですね。もともと
「子供向け番組」というところからスタートしていて、子供に対して、“毒”としての、もしくは“教育効果”
としての子供向け番組、テレビまんがという形で始まっていった歴史があって。
「テレビまんが」は、映像業界の中でも、世間一般でも、一段下に見られていたわけです。かつて
SFが(小説の世界で)下に見られていたようにね。だから次第に、アニメーションを作っている
スタッフの社会的地位を、何らかの形で認めてもらう必要があるだろうという動きが制作者側から
生まれました。
―― 動きとはどんなものでしたか。
富野由悠季監督が、「機動戦士ガンダム」劇場版(1981年)の公開直前に、新宿で「アニメ新世紀宣言」
というイベントをやったんですよ。
大勢の人たちの前で、アニメーションでもこういう表現ができます、アニメーションにも監督というものが
存在するんです、それを作るスタッフというものが存在しているんですということを、宣言する必要が
あったんですね。
―― アニメブームの始まりには、“いい年した若者がアニメみたいな子供番組に入れ上げるのは
幼稚である”という批判がずいぶんあったと聞きます。
だから、あの時代においてはやらざるを得なかったはずなんですよ。おそらく富野監督としては、
自分が業界に批判されるのを承知の上で、誰かがやらねばならないということで行ったことだと
思うんです。恥をかくのを承知でやられた。立派です。
ただ、問題があるとすれば、アニメーションはすごいんだとアニメ業界側が世間に対して言い続け
なければならなかったために、アニメというジャンルが、お客さん、特に10代、20代の若者に対しては、
必ず何らかしら哲学的なメッセージや、人を導いていくような何か、そういった立派な思想が
込められていなければならないという幻想が一部の関係者や観客に生まれてしまったんです。
―― なるほど。そういえば、アニメでは必ずと言っていいほど「主人公の成長」が描かれますね。
物語の基本ではありますが、そこに余計な物まで付いてきたと言えるでしょうか。そもそも
「立派であるべし」という大前提が間違っていた、ということですかね。昔からアニメーションは、
メッセージ性が強い作品群よりも、そうじゃない娯楽作品の方が実際には多かったわけですし。
ただ、「オールド・アニメファン」とでも言えばいいでしょうか。いわゆる“玄人筋”の人たちは、
アニメにメッセージ性があるかどうか、新しい何かがあるかどうか、というところに評価基準を
置いてしまった。これは、下手をすると排斥につながる。
■ 「通」がつくる権威が、大衆を遠ざける
―― ジャンルの向上のために理想を持つことは大切だと思うのですが、一方で、それ以外のものを
否定してしまうと、ちょっと一般の人が近づけないところにいきそうですね。
昔の日本文学みたいな物かもしれませんね。「純文学とは内面をえぐり出すようなものでなければ
ならない、大衆小説とは違うのだ」、みたいな。
でも結果としてどうなったかというと、勢いがなくなりました。ジャンル全体の。
映画にも、それに近い流れがありました。ヨーロッパでいうとヌーヴェルヴァーグの歴史がありますし、
日本でも松竹ヌーヴェルヴァーグだったり、アート・シアター・ギルド(ATG)の動きとかはありました。
でも結局、その潮流によって何が起きたかというと、一般の人が入れない世界と化し、映画界は
斜陽産業になって、つぶれかけたわけじゃないですか。
ひとつのカルチャーが続いていくと、それに関して精通している「通(ツウ)」という存在がどうしても
発生してしまう。「通」の存在が、次第に1つの権威みたいになって、若い人たち、作品の良し悪しを
自分で判断する基準を持たない人たちは、通の判断基準に身を委ねることになる。
そうして日本映画は衰退しかけたわけです。
最終的にその流れはメインストリームにはならなくて、また大衆のほうに戻ってきたんですけどね。
―― 「×××× ザ・ムービー」といったタイトルが付く、TVドラマから派生した娯楽映画も生まれました。
「あれは映画ではない」という人もいます。でも「これは映画か否か」とかそんな難しいことを
言い立てるものだから、訳の分からないところに突入してしまうのだと思うんですよ。
日本人の癖でもあると思うんですけど、ジャンルが成熟してくると、いろいろ分析し始めて、
お前は分かっていないとか、権威的なことをどうしても人は言い始めるわけですね。アカデミー化
しちゃうんです。でも、これはダメあれもダメと言い立てることで何が生み出せるの?と思うんですよ。
一番大事なのは、生まれてくるものが、楽しめるかどうかだと思うんです。
昔からずっと不思議に思っているのが、伝統芸能の扱いなんです。私の感覚だと、伝統芸能だって
芸人さんなんですよ。それを家を継ぐとか継がないとか、マスコミも含めて大騒ぎする風潮は
どこかおかしい。
やっぱりそれも「伝統」という言葉が拡大解釈されて、権威を身に纏うようになってしまった結果だと
思うんです。歌舞伎や落語も生き残るために権威を必要とした。アニメも同じです。なら、
今考えねばならないのは、その権威を護るのか、壊すのか。
―― ひとつの方向に行きすぎると、反動が出てくるのかもしれませんね。
アニメーションが「通」のものになってしまいそうだというところから、今、振り返って結果的に
よかったなと思っているのは、1990年代の終わりから2000年の頭ぐらいに、いわゆる「美少女もの」
と呼ばれるジャンルが急速に広まったことです。
美少女ものは、恋愛シミュレーションゲームや、18禁のPCゲームというまったく違う文脈から
きていましたから、通の人たちからすると、今までの自分たちが知っているアニメの文脈では
上手く語れない、解釈し辛いなものだったはずなんですよ。
「通」の人からすると「俗っぽいもの」だったのかも知れませんが。
―― アニメが高尚なところにいきかけたときに、「俗っぽいもの」によってシャッフルされたと。
世の中には「型から入る、形から入る」という楽しみ方も存在し得ると思うんですよ。
日本でも「黒人文化」というジャンルがあるじゃないですか。黒人の人たちによって生み出された
音楽とか、ファッション、料理、それを日本人が楽しむと。もともとは、黒人が社会の中で
虐げられてきたり、金銭的にゆとりがなかったという背景があってできてきた文化なんですよね。
でも、日本のお客さんはその文化的背景の意味を考えずに受け止めますよね。
■ 深く考えず、俗っぽく、欲と毒を呑み込んで
―― ロックもそうでしょうか。私たちは「反社会性」というような、ロックが持つ元々のメッセージ性は
あまり気にせずに楽しんでいます。
ルーツやメッセージ性は抜きにして、取りあえず形から入って楽しむ。それはそれでいいことだと
思うんですよ。型自体のカッコ良さに惹かれて、上辺の型だけを取り入れる、美味しいとこ取りの
融合による楽しさというものが存在するのだと思います。
深い意味を考えないからこそ、成立して楽しめるというものもあるはずだと思うんですよ。
―― 深い考えがないとそのカルチャーに入ってはいけないということになると、大勢の人に
浸透していかないのかもしれません。
俗っぽいものは大事です。大衆が好む欲や毒を呑み込んで作られるのがサブカルチャーで、
アニメというジャンルは、サブカルチャーが基本だと私は思っています。
オールド・アニメファンの人たちが、アニメーションを、これは新しいカルチャーなんだと世間に
知らしめようと努力してきたことは否定しません。ずっと迫害されてきた歴史でもありますからね。
社会からどれだけ迫害されようと、好きだ、好きだと言い続けていた人たちがあるからこそ、
今のようにアニメを世界に向けて発信していける土壌ができたんです。感謝しています、本当に。
でも、だからこそ、やっぱりある一線以上、彼らの声を重視するのはよくない。
もともと自分たちも若いころ、大人からの価値観でアニメはだめだと押さえつけられたことに対して
反発していた。その気持ちはわかる。ただ、その価値観を押しつけないようにして欲しい。
まあ、それでも、言っちゃうと人間の歴史ですかね。
結局ずっと言われ続けているんですよ。太古の昔から。「今どきの若い者は」という(笑)。
―― なるほど(笑)。(続きは多分来週)
NBonline
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1 名前:鳥目の梟φ ★[] 投稿日:2008/09/09(火) 14:17:42 ID:???
新作アニメや無料配信、コミック情報が配信している『BIGLOBEアニメ&コミック』の投票コーナー
今週は『あなたのお気に入りのメガネっ娘はどのキャラですか!? 』
選択枝は以下の24人
長門有希(涼宮ハルヒの憂鬱)、 ニーナ・アインシュタイン(コードギアス 反逆のルルーシュR2)、
松浦ナナセ(マクロスF(フロンティア))、 ライダー(Fate/stay night)、 桜田のり(ローゼンメイデン)、
水原暦(あずまんが大王)、 タバサ(ゼロの使い魔)、 ヤサコ(小此木優子)(電脳コイル)、
沙英(ひだまりスケッチ×365)、 藤吉晴美(さよなら絶望先生)、 鳳凰寺 風(魔法騎士レイアース)、
エマ(英國戀物語エマ)、 水無月妙子(藍より青し)、 読子・リードマン(R.O.D -READ OR DIE-)、
菫川ねねね(R.O.D -THE TV-)、 桜木茉莉(苺ましまろ)、 李 紅蘭(サクラ大戦)、
二階堂頼子(逮捕しちゃうぞ SECOND SEASON)、 早乙女ハルナ(魔法先生ネギま!)、
武嶋蔦子(マリア様がみてる)、 レディ・アン(新機動戦記ガンダムW)、 ココア(NG騎士ラムネ&40)
田辺真紀(ガンパレード・マーチ〜新たなる行軍歌〜)、 保科智子(ToHeart Remember my memories)
ソース:http://comics.cplaza.ne.jp/#vote
個人的には選択枝に藤沢やよいがないのが納得いかねぇ
新作アニメや無料配信、コミック情報が配信している『BIGLOBEアニメ&コミック』の投票コーナー
今週は『あなたのお気に入りのメガネっ娘はどのキャラですか!? 』
選択枝は以下の24人
長門有希(涼宮ハルヒの憂鬱)、 ニーナ・アインシュタイン(コードギアス 反逆のルルーシュR2)、
松浦ナナセ(マクロスF(フロンティア))、 ライダー(Fate/stay night)、 桜田のり(ローゼンメイデン)、
水原暦(あずまんが大王)、 タバサ(ゼロの使い魔)、 ヤサコ(小此木優子)(電脳コイル)、
沙英(ひだまりスケッチ×365)、 藤吉晴美(さよなら絶望先生)、 鳳凰寺 風(魔法騎士レイアース)、
エマ(英國戀物語エマ)、 水無月妙子(藍より青し)、 読子・リードマン(R.O.D -READ OR DIE-)、
菫川ねねね(R.O.D -THE TV-)、 桜木茉莉(苺ましまろ)、 李 紅蘭(サクラ大戦)、
二階堂頼子(逮捕しちゃうぞ SECOND SEASON)、 早乙女ハルナ(魔法先生ネギま!)、
武嶋蔦子(マリア様がみてる)、 レディ・アン(新機動戦記ガンダムW)、 ココア(NG騎士ラムネ&40)
田辺真紀(ガンパレード・マーチ〜新たなる行軍歌〜)、 保科智子(ToHeart Remember my memories)
ソース:http://comics.cplaza.ne.jp/#vote
個人的には選択枝に藤沢やよいがないのが納得いかねぇ
1 名前:あやめφ ★[] 投稿日:2008/09/05(金) 02:23:52 ID:???
―― 直截な言い方になってしまいますが、「コードギアス」はなぜこれほどヒットしたのだと
思いますか。人々の欲望を捉える、“ヒットを生み出す秘訣”みたいなものがあれば、
ぜひおうかがいしたいのですが。
谷口:正直、ここまでいくというのは、私も読み切れなかったです。
今の時代の感覚にたまたま合致したという面はあるとは思いますがね。もしもヒットの秘訣という
ものがあるとすれば、作品を通じて――もしくは商品を通じてと言ってもいいかもしれません――
「商品を通じてお客さんと会話をする」という気持ちが持てるかどうかだと思うんですよ。
私の中で「アニメーションで成功した」と思えるポイントは、3つ存在しているんです。あくまで
「監督としてのポイント」ですが。
―― 3つの成功ポイントとは?
1つ目はDVDや玩具の売り上げも含めて、10円でもいいから黒字にして赤字を作らないこと。
2つ目は、TVアニメの場合には視聴率が良いこと。3つ目が、3年後、5年後でも覚えてくれている
お客さんがいるということ。例えばカラオケで主題歌を歌ってくれたりするような、時代的な継続ですね。
全部達成するのは難しいので、どれかが達成されていればその作品は成功だろうと。
要するに、「お客さんから何らかの支持を得た」ということですね。
アニメーション制作で何が大事かと問われれば、いろいろあって難しいのですが、まず第一に、
売れることは大事でしょうというのが私の考え方です。アニメの絶対正義は、売れることだと
思っています。
中でも「赤字を作らない」というのは、真っ先にやらなければいけないことですね。
―― 「赤字を作らない」。それは商売の基本のようでもあるのですが、アニメーションの場合は
違うのですか?
残念ながら、他の産業とは違うでしょうね。アニメーションに関しては、作品タイトルが10本あるとして、
たぶん3本ぐらいですよ、全く赤字を作っていないのは。
■ 赤字を出さないことこそが正義である
―― え、そうなんですか!?
そんなものですよ。赤字になってしまう作品のほうが多いんです。
―― それでは、どうやって「商売」として回しているんですか。
一握りの作品が、赤字になった作品の損失分を補填して回しているという状態なんですよ。
私が言う、売れる、当たるというのは、アニメの商売でボロ儲けしてプロデューサーと一緒にフグを
食べに行くとか、そういう意味じゃないですよ(笑)。定められた予算を回収して、その上で、最後に
金庫に10円玉が1個残りましたと。それでいいんです。10円玉1個が残れば。
―― 10円玉1個でも?
そうです。10円でも黒字になれば、「次の作品」が作れるんです。アニメのスタッフ全員にギャランティを
払い終えてもなお黒字になれば、みんながこの仕事で生活していけるじゃないですか。こういった
業界にいる人たちは、永久就職したわけではありませんから、誰かが認めてお金を出してくれないと、
制作者たり得ないんですよ。
―― 黒字になれば、どのスタッフも生活していけて、次の仕事につながると。
そうです。黒字にしないと、お客さんにも、「次の作品」を楽しんでもらうことができないですしね。
作るには場所も必要だし、スタッフの生活もある。そこまで含めた予算を全部回収できて、初めて
「黒字」なんですね。
ただ、裏を返すと、これはやっぱりアニメ業界のいいところだと思うんですけれども、10円でもいいから
黒字をつくるということは、一昔前の「勝ち組、負け組」という言い方をすれば、すべてが「勝ち組」に
なることができるんですよ。
―― そうなんですか?
なれるわけじゃないですか。10円以上の黒字を出せばよいのだということだったら、実は
10本タイトルがあったら、10本とも勝ち組になれる可能性があるんですよ。
―― 勝利条件を、どれだけ儲けるかではなく「次回作を作れること」と設定した瞬間に、一気に
勝ち目は増えるわけですね。
ええ。誰も悲しまないですよね。お金を出してくれた企業も、投資した分がちゃんと返ってきますから。
アニメ制作会社だって、どれだけ小規模で余裕がない会社でも、金が回っている限りにおいては
倒産しませんから。
―― 会社経営ということで言えばそうですよね。
アニメ制作会社は、アニメを作り続ける事によって利益を追求する組織です。ほとんどのところが
そういうスタンスでやっているはずです。
だから、作品が赤字ばかりだったら、当然企業もお金を出してくれなくなってしまいます。そうしたら
スタッフの生活が成り立たないし、お客さんだって、アニメを見ようとしても、作られないのでは
見ようがない、ということになってしまう。だから私は売れることは絶対の正義だと思っています。
もしこれを「アニメは『文化』であって、『商品』じゃない」「売れることを目指すのは悪だ」と
批判されてしまったら、アニメが作り続けられなくなってしまうんですよ。
―― アニメは文化であると同時に商品という役割も担っている。けれども、商品としては、赤字が
発生しやすい、産業としては危うい部分があるということですね。ただ、そうは言ってもおそらく
ほとんどのアニメ作品が「黒字」を目標にして制作されていると思うのですが……。
もちろん制作者は黒字にしたいとは思っています。ヒットを狙って大きく仕掛けていく作品だって、
年に何本もあります。でも仕掛けが大きければヒットするわけじゃない。己の愚かさを承知の上で、
あえて言います。“当たらなかった大作”は、私から見るとこれじゃあ当たらないよ、という気に
させられてしまうんですね。作品を見ると。
―― ヒットに繋がるか否かの分かれ道、ポイントは何だと思われますか?
■ 記号で売れる、世界観で売れる、そんな話はない
お客さんをちゃんと見据えているかどうか、ですね。
よくある間違いに、「売れそうな記号を貼り付けただけ」というのがあります。アニメの世界には、
「ツンデレ」とか「メガネキャラ」とか、その時々でファンに支持されるモチーフがあるんですが、
例えば誰かが、「今はメガネが流行っているから、ヒロインにつけよう」と考えたとします。ところが
メガネをつけるだけでは、アニメは売れないんですよ。
メガネは、その時点では「記号」でしかないんです。本来ならば、制作者はそこから「お客さんは
どうして今、メガネが好きなんだろう?」というのを一所懸命考えなければならないんです。流行には、
どうして流行になったのかという“根っこ”がある。「人が望んでいるものは何か」という根っこが。
そこを分析しないと、目先の記号に踊らされるだけになると思うんですよ。「あれ?メガネをつけたのに
売れないぞ、おかしいな」と。
記号を配置したらもうそれでオーケーだと思ってしまうと、それがゴールになっちゃうんですね。
記号は出発地点なんです。記号を入れるにあたっては、お客さんが記号を通して望んでいることは
何かというのを探っていかないと。
―― 「お客さんと会話して、お客さんが望むものを提供する」というスタンスで一貫していますね。
私にとっては、お客さんが自分の作品作りの軸になっているので。
作り手がお客さんを見ないということで言えば、起こりやすい間違いがもうひとつあるんですよ。
アニメには、作り込んだ世界観や細かい設定がありますよね。
―― はい。それがアニメの魅力でもありますよね。
でも、アニメーションの世界観とか設定は、ある一線以上を映像の中で語り始めると危険なんですよ。
少し語っておいた方が、作品にドラマ性を感じられるからいいんですけど、ある一線以上語り始めると、
お客さんの“快感原則”から外れてしまうんです。この作品の物語世界はこうこうこうなっていると
説明しすぎると、お客さんが「受ける」ことしかできなくなってしまう。カルチャーに求めている欲求で
あるところの「外に出す」ことができなくなるんですね。
物語を通して、泣きたい、笑いたい、という感情をはき出したいのに、作り手から一方的に発信される
世界観を「受ける」だけとなると、「うーん、それで?」となってしまう。
ヒットを狙いながらヒットにならない作品は、作り手の興味が、人間よりも、世界とか設定に向かって
いる気がするんですよ。
―― 「コードギアス」自体が、複雑な世界観と設定を持っているわけですが……。
もちろん世界観や設定がないとアニメは作れないし、設定を深く楽しめるマニアックなお客さん
というのも存在します。私たちも細かい設定を作ることにやりがいはありますしね。
作り手としては、設定をわかってくれるような“マニア同士の意気投合”は楽しくもあるんだけれども、
それを作品のメインに据えてはいけないんですね。大勢のお客さんのことを考えると。
―― アニメマニアではないお客さんのことをしっかり考えようと。
私だって、常に成功させる自信はありません。反省の連続です。それでもお客さんを考え続けねば、
軸がなくなると思います。
■ 「売れなくても良質な作品」を作る条件
―― 今までのお話の中で、お客さんの欲するものを考えてから作るという、「売れる作品」について
語っていただいたのですが、一方で、“売れないかもしれないけれど優れた作品”を目指すという
方向性もありますよね。
みんながみんな、そんな幻想を言うものだからおかしなことになるんですよ、アニメーション業界は。
売れなくてもいいというタイプの作品は、かなり限定されるんです。もう腹を据えた上でやっちまった、
これは回収できなくてもいいと。スタッフの方が腹を据えている場合ですよね。
つまり「次の作品に繋がる黒字」にならなくても良いから、この作品に関しては好きにやらせてくれと。
そういうスタンスを否定はしません。私もそういう作品を撮ったことがありますから。ただ、アニメーション
というお金がかかる産業構造のところで回収できないことをやろうとする限りは、当然それだけの
覚悟はしてますよねと言いたい。これから先、あなたは何年間か収入減ってもいいのねと。
やりたいことを存分にやって、収入が減った分はアルバイトしてでもなんとかする。そこまでの
腹づもりがあるのなら、それは立派だと思いますよ。
でもそれだけの腹をくくってないのに、「月々の給料が欲しい」と言い出さないでねと。そこだけなんです、
私が言っているのは。
―― お客さんのではなく、作り手が自らの欲望であるところの「やりたいこと」を優先させたのなら、
お客さんからお金が回収できなくても仕方がない、そう思っていてほしいというお話なのですね。
そうです。自分たちの好きなようにやって、その代わり赤字になっても、「最近仕事がなくてさ」と
愚痴をこぼすなよと。(続きは来週)
NBonline
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080902/169503/
―― 直截な言い方になってしまいますが、「コードギアス」はなぜこれほどヒットしたのだと
思いますか。人々の欲望を捉える、“ヒットを生み出す秘訣”みたいなものがあれば、
ぜひおうかがいしたいのですが。
谷口:正直、ここまでいくというのは、私も読み切れなかったです。
今の時代の感覚にたまたま合致したという面はあるとは思いますがね。もしもヒットの秘訣という
ものがあるとすれば、作品を通じて――もしくは商品を通じてと言ってもいいかもしれません――
「商品を通じてお客さんと会話をする」という気持ちが持てるかどうかだと思うんですよ。
私の中で「アニメーションで成功した」と思えるポイントは、3つ存在しているんです。あくまで
「監督としてのポイント」ですが。
―― 3つの成功ポイントとは?
1つ目はDVDや玩具の売り上げも含めて、10円でもいいから黒字にして赤字を作らないこと。
2つ目は、TVアニメの場合には視聴率が良いこと。3つ目が、3年後、5年後でも覚えてくれている
お客さんがいるということ。例えばカラオケで主題歌を歌ってくれたりするような、時代的な継続ですね。
全部達成するのは難しいので、どれかが達成されていればその作品は成功だろうと。
要するに、「お客さんから何らかの支持を得た」ということですね。
アニメーション制作で何が大事かと問われれば、いろいろあって難しいのですが、まず第一に、
売れることは大事でしょうというのが私の考え方です。アニメの絶対正義は、売れることだと
思っています。
中でも「赤字を作らない」というのは、真っ先にやらなければいけないことですね。
―― 「赤字を作らない」。それは商売の基本のようでもあるのですが、アニメーションの場合は
違うのですか?
残念ながら、他の産業とは違うでしょうね。アニメーションに関しては、作品タイトルが10本あるとして、
たぶん3本ぐらいですよ、全く赤字を作っていないのは。
■ 赤字を出さないことこそが正義である
―― え、そうなんですか!?
そんなものですよ。赤字になってしまう作品のほうが多いんです。
―― それでは、どうやって「商売」として回しているんですか。
一握りの作品が、赤字になった作品の損失分を補填して回しているという状態なんですよ。
私が言う、売れる、当たるというのは、アニメの商売でボロ儲けしてプロデューサーと一緒にフグを
食べに行くとか、そういう意味じゃないですよ(笑)。定められた予算を回収して、その上で、最後に
金庫に10円玉が1個残りましたと。それでいいんです。10円玉1個が残れば。
―― 10円玉1個でも?
そうです。10円でも黒字になれば、「次の作品」が作れるんです。アニメのスタッフ全員にギャランティを
払い終えてもなお黒字になれば、みんながこの仕事で生活していけるじゃないですか。こういった
業界にいる人たちは、永久就職したわけではありませんから、誰かが認めてお金を出してくれないと、
制作者たり得ないんですよ。
―― 黒字になれば、どのスタッフも生活していけて、次の仕事につながると。
そうです。黒字にしないと、お客さんにも、「次の作品」を楽しんでもらうことができないですしね。
作るには場所も必要だし、スタッフの生活もある。そこまで含めた予算を全部回収できて、初めて
「黒字」なんですね。
ただ、裏を返すと、これはやっぱりアニメ業界のいいところだと思うんですけれども、10円でもいいから
黒字をつくるということは、一昔前の「勝ち組、負け組」という言い方をすれば、すべてが「勝ち組」に
なることができるんですよ。
―― そうなんですか?
なれるわけじゃないですか。10円以上の黒字を出せばよいのだということだったら、実は
10本タイトルがあったら、10本とも勝ち組になれる可能性があるんですよ。
―― 勝利条件を、どれだけ儲けるかではなく「次回作を作れること」と設定した瞬間に、一気に
勝ち目は増えるわけですね。
ええ。誰も悲しまないですよね。お金を出してくれた企業も、投資した分がちゃんと返ってきますから。
アニメ制作会社だって、どれだけ小規模で余裕がない会社でも、金が回っている限りにおいては
倒産しませんから。
―― 会社経営ということで言えばそうですよね。
アニメ制作会社は、アニメを作り続ける事によって利益を追求する組織です。ほとんどのところが
そういうスタンスでやっているはずです。
だから、作品が赤字ばかりだったら、当然企業もお金を出してくれなくなってしまいます。そうしたら
スタッフの生活が成り立たないし、お客さんだって、アニメを見ようとしても、作られないのでは
見ようがない、ということになってしまう。だから私は売れることは絶対の正義だと思っています。
もしこれを「アニメは『文化』であって、『商品』じゃない」「売れることを目指すのは悪だ」と
批判されてしまったら、アニメが作り続けられなくなってしまうんですよ。
―― アニメは文化であると同時に商品という役割も担っている。けれども、商品としては、赤字が
発生しやすい、産業としては危うい部分があるということですね。ただ、そうは言ってもおそらく
ほとんどのアニメ作品が「黒字」を目標にして制作されていると思うのですが……。
もちろん制作者は黒字にしたいとは思っています。ヒットを狙って大きく仕掛けていく作品だって、
年に何本もあります。でも仕掛けが大きければヒットするわけじゃない。己の愚かさを承知の上で、
あえて言います。“当たらなかった大作”は、私から見るとこれじゃあ当たらないよ、という気に
させられてしまうんですね。作品を見ると。
―― ヒットに繋がるか否かの分かれ道、ポイントは何だと思われますか?
■ 記号で売れる、世界観で売れる、そんな話はない
お客さんをちゃんと見据えているかどうか、ですね。
よくある間違いに、「売れそうな記号を貼り付けただけ」というのがあります。アニメの世界には、
「ツンデレ」とか「メガネキャラ」とか、その時々でファンに支持されるモチーフがあるんですが、
例えば誰かが、「今はメガネが流行っているから、ヒロインにつけよう」と考えたとします。ところが
メガネをつけるだけでは、アニメは売れないんですよ。
メガネは、その時点では「記号」でしかないんです。本来ならば、制作者はそこから「お客さんは
どうして今、メガネが好きなんだろう?」というのを一所懸命考えなければならないんです。流行には、
どうして流行になったのかという“根っこ”がある。「人が望んでいるものは何か」という根っこが。
そこを分析しないと、目先の記号に踊らされるだけになると思うんですよ。「あれ?メガネをつけたのに
売れないぞ、おかしいな」と。
記号を配置したらもうそれでオーケーだと思ってしまうと、それがゴールになっちゃうんですね。
記号は出発地点なんです。記号を入れるにあたっては、お客さんが記号を通して望んでいることは
何かというのを探っていかないと。
―― 「お客さんと会話して、お客さんが望むものを提供する」というスタンスで一貫していますね。
私にとっては、お客さんが自分の作品作りの軸になっているので。
作り手がお客さんを見ないということで言えば、起こりやすい間違いがもうひとつあるんですよ。
アニメには、作り込んだ世界観や細かい設定がありますよね。
―― はい。それがアニメの魅力でもありますよね。
でも、アニメーションの世界観とか設定は、ある一線以上を映像の中で語り始めると危険なんですよ。
少し語っておいた方が、作品にドラマ性を感じられるからいいんですけど、ある一線以上語り始めると、
お客さんの“快感原則”から外れてしまうんです。この作品の物語世界はこうこうこうなっていると
説明しすぎると、お客さんが「受ける」ことしかできなくなってしまう。カルチャーに求めている欲求で
あるところの「外に出す」ことができなくなるんですね。
物語を通して、泣きたい、笑いたい、という感情をはき出したいのに、作り手から一方的に発信される
世界観を「受ける」だけとなると、「うーん、それで?」となってしまう。
ヒットを狙いながらヒットにならない作品は、作り手の興味が、人間よりも、世界とか設定に向かって
いる気がするんですよ。
―― 「コードギアス」自体が、複雑な世界観と設定を持っているわけですが……。
もちろん世界観や設定がないとアニメは作れないし、設定を深く楽しめるマニアックなお客さん
というのも存在します。私たちも細かい設定を作ることにやりがいはありますしね。
作り手としては、設定をわかってくれるような“マニア同士の意気投合”は楽しくもあるんだけれども、
それを作品のメインに据えてはいけないんですね。大勢のお客さんのことを考えると。
―― アニメマニアではないお客さんのことをしっかり考えようと。
私だって、常に成功させる自信はありません。反省の連続です。それでもお客さんを考え続けねば、
軸がなくなると思います。
■ 「売れなくても良質な作品」を作る条件
―― 今までのお話の中で、お客さんの欲するものを考えてから作るという、「売れる作品」について
語っていただいたのですが、一方で、“売れないかもしれないけれど優れた作品”を目指すという
方向性もありますよね。
みんながみんな、そんな幻想を言うものだからおかしなことになるんですよ、アニメーション業界は。
売れなくてもいいというタイプの作品は、かなり限定されるんです。もう腹を据えた上でやっちまった、
これは回収できなくてもいいと。スタッフの方が腹を据えている場合ですよね。
つまり「次の作品に繋がる黒字」にならなくても良いから、この作品に関しては好きにやらせてくれと。
そういうスタンスを否定はしません。私もそういう作品を撮ったことがありますから。ただ、アニメーション
というお金がかかる産業構造のところで回収できないことをやろうとする限りは、当然それだけの
覚悟はしてますよねと言いたい。これから先、あなたは何年間か収入減ってもいいのねと。
やりたいことを存分にやって、収入が減った分はアルバイトしてでもなんとかする。そこまでの
腹づもりがあるのなら、それは立派だと思いますよ。
でもそれだけの腹をくくってないのに、「月々の給料が欲しい」と言い出さないでねと。そこだけなんです、
私が言っているのは。
―― お客さんのではなく、作り手が自らの欲望であるところの「やりたいこと」を優先させたのなら、
お客さんからお金が回収できなくても仕方がない、そう思っていてほしいというお話なのですね。
そうです。自分たちの好きなようにやって、その代わり赤字になっても、「最近仕事がなくてさ」と
愚痴をこぼすなよと。(続きは来週)
NBonline
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20080902/169503/






